「今この瞬間以外は、全部夢だと思ってる」
これはあるミュージシャンの方と話していた時に言われた言葉なのですが、みなさんはこれを聞いて何を感じられましたか?
私はなぜかこの言葉が引っかかりその感覚を突き詰めていった結果、人生に対する考え方を変える事ができました。
結果的にワーホリを決意して仕事を辞めるまでに至ります。初めて自分の足で人生を歩いているような感覚は何にも変え難いです。
なんだか自分の状況が閉鎖的で、何やってもうまくいかないような気がしている
私もそんなしんどさを感じていました。
なのでシェアすることで何かのヒントになればという想いと、今後また自分が同じ状況になった時に見返せるように、考え方を変えたプロセスを残すことにしました。
モヤモヤ止まらない期
店長に就任してから半年、売り上げはいい時もあれば悪い時もあります。
それは自分の腕次第。
ただそれ以外にもトラブルは常に荒々しく登場します。後輩との関係性の築き方、マネジメントの仕方、何もかもがが至らず歯痒い思いをしていました。
問題解決のために色んな本を読み漁り、人に相談したりするものの、結局は自分が変わるためにどうしたら良いのかというところに立ち戻り……その繰り返しでした。
自分の感情をうまくコントロールできず、状況は悪くなるばかりのような気がしてましたし、昔は出来ていたのに!(本当は周りの人が優しかっただけだと思います)と能力の低下を感じては落ち込んでいました。
唯一、クラブに行って音楽を聴いて友達と過ごしている時は、そういうことを考えなくていい時間。それを求めて、病気かと思うくらい毎日出歩いていました。
でも楽しい時間は一瞬。秒です。
どんなに続いてくれと思っても終わりがきて、また現実に引き戻されるのです。
なんで仕事の時間は秒で終わらないんだろう。
時間ってもっと平等なものじゃないのか?
その差、当たり前のことに感じていたんですけどよく考えたら不思議じゃないですか?
そこから流れる時間の違いについて考えることを始めました。
前向きな時は爽やかに過ぎて行く時間が、悩んでいる時は泥沼に?
時間には2種類(もしくはそれ以上)あるのではないかと思います。
①時計が刻む、基準となる時間
②個人の状態によって速度が変化する体感の時間
集中している時、楽しい時は一瞬
緊張している時や、しんどい時はなかなか過ぎていかない
国をまたぐ時の時差により①の時間は変わるけど、②の時間は早回しになることはないですよね。
そして②の体感の時間が「経験」として記憶に残りやすく、それが「過去」として認識されやすくなるのではと考えるようになりました。
何かに夢中になっている一年ほどあっという間に感じ、
困難が多い一年は「やっと終わる…という」気持ちになりやすい。
「あっという間」という言葉があります。
それを感じる事が多い人って体感時間が「あっという間」しか経過していないので、実年齢より若々しく見えたりする事があるそうです。逆もしかり。
もしかしたら全部幻かも?
この思いつきを誰かに話してみようとなった時に、冒頭に出てきた言葉が登場します。
そしてその後、さらに問われました。
「ていうか今見ているものだって本当に存在してるかわからないよ」
たしかに。
例えば、世の中には自分と違った色の世界を持っている人がいます。
色覚特性という特徴を持つ子が、私の高校の同級生の中にもいました。特に仲が良かったわけではないけれど、美術の時間にその子が書いた自画像は今でも覚えています。
それはほぼ赤と青の世界。
それを見た時、「この子が見ているものと、私が見ているものは違うんだ!」と衝撃を受けました。そして自分が見ている色は、本当に「存在しているものと同じ色」なんだろうかと思いました。
有名どころだと、映画「マトリックス」でも描かれています。
その世界では人は機械に脳みそをコントロールされて、あたかも普通に生活しているような幻を見させられていました。本体の身体の方は標本のようにカプセルに入れられています。
外から出してもらわない限り、一生それに気づかずに人生が終わるのです。
自分の知っている世界が幻じゃないことを知る方法って、モーフィアスに見つけてもらう以外にあるんでしょうか?
さらに私たちは過去を思い出すときに「自分の見た景色」を思い出します。そうなると過去は自分の意識の中のストーリーになってきます。
悪いと思っている過去は自分の画角で切り取ったもので、多少おおげさに脚色されている可能性があります。
楽しかった思い出がキラキラしがちなのは、自分が監督・脚本・主演のストーリーを見ているから。
他の誰かからしてみたら、それはものすごい悲劇の日だったかもしれません。
偏った未来予想は、「セルフ首締め」になる
未来を予測する時って、過去の延長線上で考える事が多いと思います。
・ここまでこの仕事を続けたしこのままやっていくんだろうな
・このタイプの人は苦手だし、この人ともうまくやれないんだろうな
・これまでも恋人とはうまくやってきたしずっと一緒にいるんだろうな
・自分の人生はよくない事が起きがちで、この先もずっとそうなんだろうな
でその情報源が「自分監督・脚本・主演の過去」だったら
未来予測はどうなるでしょうか?
辛くて苦しい演出が多い過去だったら、予想する未来もその延長線上になってしまうかもしれません。
もしも自分が好きなように過去を解釈できたらどうでしょうか?
スターウォーズだったらプリクエルに当たるエピソード1・2・3がない状態。
どんなストーリーが想像できるでしょうか。
「今この瞬間以外」は、思ったより融通が効きそうです。
時間は未来から過去に流れている?
私は時間は過去から未来へ一方向に進むものだと思っていました
そのときにこの記事と出会って衝撃を受けます。
https://masashirou.exblog.jp/12663425/
以下引用
時間が未来から過去に流れるという教えは古代インドの仏教の教典(部派仏教・アビダルマ哲学)にも書かれています。しかし、西洋的な、原因と結果により実証する科学的観点では、絶対に「原因」が未来に有り、「結果」が過去にあるという考えは出来ません。しかし、東洋思想では、自由に未来と過去を逆転させる事が出来るのです。未来にある「原因」が、過去にある「結果」を創りだすのです。この事を素直に理解出来る方は少ないと思います。それは、当然です。我々は、誕生以来、過去から未来へ流れる時のベクトルに慣れているからです。
実際には一方向ではなく「どの方向にも流れている」と解釈するのが、仏教の教えです。
東洋思想のこの考え方は自分にとって革新的なものでした。「因果応報は未来から過去にも起こりうる」という考えは、理解の幅を与えてくれ自分を助ける武器になりました。
あくまで思想ですからエッセンス的に取り入れると良いと思うのです。
例えば大切な人と離別したとき。
あの時のなんでもない一言が最後の言葉になるなんて…ということを経験された方も多いと思います。普段いってた場所や行為が、次々に特別な思い出に変わっていきますよね。
「今」の出来事が「過去」の出来事の意味を変えてしまうという経験は、私にとっても身近な存在でした。
この感覚が、未来➡︎過去時間を理解するのに1番わかりやすかったです。
では先のことに目を向けてみます。
「あの時があるから、今の幸せな自分がある」という未来の
「あの時」に今の私は立っている、という感覚です。
今がどんな状況であれ、私達は未来から来たその流れの途中にいるだけ。そしてその未来はどう脚色しても自由です。
良い過去はそのまま大事にしまっておいて、好きじゃない過去は今を通過した排泄物扱いしてもいい。
なにも過去の最先端に立って、自分のしてきたことの尻拭いをする未来にしなくていいんだ!!と気づいた時、とてもとても心が楽になりました。
未来は過去以上の広がりを持っていて、
好きなように変えて良くて、
好きなように変えた未来の流れの中に、もうすでに組み込まれていると思っていいのです。
私は自分の未来を書き換えて仕事を辞めました。
結果的にトラブルは襲いかかって来なくなり、平穏な心とともに今を過ごしています。
明日死んでも後悔しないでしょう。
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