年齢なんて関係ない?30女がワーキングホリデーを決めた理由

セルフコントロール

これは私が29歳になってから30歳になるまでの一年間の話です。




私は28歳でショップの店長になりました。

当時は接客はもちろん、マネジメント・発注・販売計画・本社とのやりとりなど未知の仕事をこなしていくことに日々全力。

 

次から次へと、ノンストップでこなしていて、全てが目まぐるしく、でも学ぶことも沢山あって自分の成長を感じていました。





そんな生活を1年ほど続けて29歳になり、次第に気持ちが追いつかなくなっていることに気がつきます。





ストレスを感じていたことは沢山ありますが、特に



➡️自分が原因でないトラブルが頻繁に起こり、振り回される

➡︎希望する役職につくのにあと2年かかると言われた

➡︎スタッフの異動が多く育成面での達成感を感じられずにいた



が大きいです。




今、会社員されている方なら「そんなことは当たり前だよ。それが仕事じゃない。」と思うかもしれません。

私もしばらくはそれに耐えることが自分への試練・そして社会人としての責任だと思いながら過ごしていました。




そんな中で次第に「未来への疑問」が、自分の中で膨らんでいるのを無視できなくなっていました。




「このストレスは本当に避けられないものなのだろうか」

 

「時間や場所や会社に支配されない生き方ができないだろうか」

 

「自分が今持っている常識や価値観は、果たして自分にとって最も最良なものなのか?もっと色んな価値観を知って変化させていくことができるのではないか?」





そんな時会社で1番仲がよかった同期が会社を辞めます。

彼女には働きたい場所があって、そのためにアメリカに留学をすると言っていました。




私は寂しい気持ちと、一緒に試練に耐える仲間がいなくなってしまうことにとても心細さを覚えました。



同時にとても羨ましいと思ったのです。

新しい場所に行って新しい可能性を探すこと、自分で自分の人生を選択すること。

当時はそれをやってのけた友人に、尊敬と羨望の眼差ししか向けられませんでした。





「海外か・・・・」





確かにそれは、自分が持っていた未来への疑問を解消してくれる選択肢でした。



ただ私は自分で「海外に行って何するの?」と思っていました。

彼女のように将来の仕事の為でもない、特殊な技術や技能もない。

ただ行って、それでどうする?

そのために今の地位や年収を捨てて無職になるの?

と、行かない理由を沢山作っていました。



「英語の勉強」でいいじゃん!と思うかもしれませんが、私は英語に対してコンプレックスがものすごく強かったんです。




なぜなら話せないから。



自分には完璧主義的なところがあって、その上プライドも高かったので、自分ができないことに直面することが本当に怖かったんです。

 

バカって思われたらやだとか、無能って思われたくないとか、人からの評価を常に気にしまくっていて自分のいい部分しか人に見せたく無かったです。

 

それは自分の家族に対してもそう。

うちの家族、私以外みんな英語それなりに話せるんですよ。

 

だから余計に自分が今から始めるなんてカッコ悪くて・・・





本当にしょうもないプライドだな、と書きながら自分でも呆れてしまいます。




そんなモヤモヤを抱えながら過ごしていた時、ある事件がおきます。

 

大切な人の、突然の訃報

 

大切な人というのは、以前付き合っていた恋人です。

彼とは別れてしばらくたっていましたが、時々連絡を取り合い近況報告をしあう仲でした。

その訃報が入る1週間前にも連絡が来ていて「最近どう?」なんて話をしてました。



彼の死は本当にショッキングで、今でもその話をするのは勇気がいります。

彼はまだ33歳で、未来があって、色んな可能性を持っていました。

それが突然終わってしまうことがあるんだとこんな形で思い知らされるとは。

 

それはちょうど2018年の12月で、彼が年を越せなかったということに打ちのめされていたことをよく覚えています。




しばらく立ち直れなかったです。

ずっと自分が生きのこっていることについて考え、

仏教や時間を勉強し、死について考える日々が続きました。

 

そうしてやってきた30歳の誕生日



 

半年間、彼に起きたことを考えて考えて、そして自分の思考がだんだん未来を向くようになりました。




「自分も明日死ぬかもしれない。その前に、今やりたいことはやるべきだ。それが生きる喜びだ」



それが私が気づいた大切なことです。

シンプルだけど。



そして前から頭の片隅にあった「海外にいく」を引っ張り出してみます。

 

その時から「ワーキングホリデー」の存在は知っていて、実はエージェントセミナーにも行ったことがありました。

上記の理由で「自分なんて行けない」と踏み切ることができませんでしたが。

なので30女にはその門は閉じられたものと思っていました。





ですがあったんです。取得できる国が。




それがカナダ




このタイミングでそれに気づけたことは天からのお導き。

これは乗るしかないと思いました。

(ちなみにオーストラリアも取得可能でしたが、私はカナダを選びました。)






そうなってくると面白いことに、今度は「海外にいく理由」が沢山出てくるんですね!

他国の人の考え方をもっと取り入れたい、そして自分の価値観や常識を変えたい、





その為に英語が話せるようになりたい、と。




その思いつきは長年のプライドを捨てて、自分のコンプレックスと向き合うことにも繋がっていました。

会社に退職の旨を伝える

 

 

ここが大きな壁でした。

気づいてきたキャリアや関係性を捨てる瞬間だからとても勇気がいるのです。

これをやったら後戻りはできない。

 

でももう「私の欲しい未来の為にやろう!」という気持ちが強かったんです。

 

今までの価値観を変えたいんなら、ここが最初の試練。

もう親にも言ったし、大切な友達にも言った。





これを乗り越えられないで明日死んだらどうする!

と鼓舞しまくって伝えたのを覚えています。



ちなみに最初は直属の上司のエリアマネージャーに。

その後本社によびだされ部長と面談しました。




部長には引き止めていただいたのですが、その時に



「価値観を変えたいのはわかった。でも今こうやって退社の意思を伝えていることだけでも、今までの自分じゃできなかったことじゃないかな。」



と言われたのが印象に残っています。



もう私はすでに変わり始めているんだと実感しました。

 

 

そして無職になる

 

 

2019年末をもって8年働いた会社を辞めました。



直前は本当にしんどかったです。

色んなお店、本社に挨拶に行きながら



本当に辞めて大丈夫か?という心配

早く辞めて自由になりたい!という希望

お世話になった会社の方々への感謝

もう一緒に働けないという寂しさ



といった感情が吹き出していました。




ですが全ての仕事を終えて2020年を迎える瞬間…




私の心は本当に希望で満ち溢れていて、

みんなのおかげで働いてこれたという感謝と

これから起こることを心から楽しもうという気持ちで一杯でした。




こんな気持ちは働いていた時には得られなかったです。

自分で人生を選んだからこそ、受け取ることができた特別なものだと思います。




「今この瞬間に死んだとしても、後悔しない」

 

自分の人生に心から満足した時に、そう思うことができるのだと知りました。





これが私が30歳にしてワーキングホリデーを決意した理由です。



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